外山氏2冊目。
外山氏が、精読派から乱読派に転向したことについて書かれています。
精読して本に取り込まれてしまうと、考えることに支障がでるということです。
僕はどちらかといえば乱読派です。本の海を泳ぐ感じが好きです。
かといって、きちんと考えることができているか怪しく。
考えることが目的ならば、乱読が良さそうです。
また、「積極的な乱読は、従来の読書ではまれにしか見られなかったセレンディピティがかなり多くおこるのではないか」と言います。
精読とくらべて、出会いが増えるので可能性は上がりますよね。
少し横道ですが、乱読するにあたり「漫画でわかるー」的な本も役立ちそうです。ちょこちょこ読みますが、少し後ろめたさがありました笑
思えば、小学校の図書館にも漫画の伝記とか漫画の日本史とかありました。ああいうものを含めてぱらぱら読みまくる子いましたよね。乱読子。
また、思考のためには忘れることが大切で、そのためにも、風のように乱読だと。
加えて睡眠、朝ガツの効用にも話しは及び。
僕は、乱談(3人以上の異分子が集まり語り明かすこと)に興味を持ちました。独りよがりがちな僕には珍しいです笑
「思考の整理学」と重複は箇所はままありますが、大変背中を押してもらえました。
でも、作者の世界観にどっぷり浸かることが目的ならば、精読するっきゃないですね。
思えば最近、浸かることが目的の読書から離れています。
いわゆる没入感を、以前は読書や映画やオンラインゲームで、今はトレイルランニングで味わっているからなのでしょう。
何かに深く入っていく感じも、たまらんですよね。