自己愛の塊である僕は、「僕の情熱」を読み返していた。
特にUTMFに関するものを。
抽選結果が出る前の試走に始まり、レースの報告まで。
どうやら、ことあるごとに「誰か」と練習したり「誰か」とレースに臨む・臨んだことを繰り返し書いている。
とても嬉しそうに。
それを、「偉くなったものだな」と冷やかす僕がいる。
それは、引きこもり始めた頃の僕だ。
劣等感の塊で、真っ暗闇にいた頃の僕だ。
社会復帰をしようと外に出始めるも、うまくいかず引きこもりに逆戻りした頃の僕だ。
それと、初めての100マイルでDNFした僕だ。
それらの僕はいつもこう言った。
「お前には無理だった」
この言葉をふと思い出してゾッとした。
この言葉が内からでてくると、どんなに応援があろうと支援があろうと関係ない。
ひとりなら尚更のこと。
応援や支援は、プッシュの源になる。これは間違いない。
でも、一歩を踏み出すのはランナー本人だ。
大会関係者、サポート・ペーサー、知人・家族がランナーの代わりに、一歩を踏み出すことはできない。
「そんな当たり前のことを、最近の恵まれた環境に浮かれて忘れてないか?」
「偉くなったもんだな」
冷ややかに僕は続ける。
「一歩を踏み出すのはお前だよ」
「忘れるなよ」
「やるのは、お前の意志と肉体だ」
「ところで、気持ちは本当にあるのか?」