僕らの情熱

ワクワクする人生を。

変えるのか?変化そのものであると自覚するのか?

昔出会った好きな言葉がある。

 

 

 

『人間が変わる方法は3つしかない。

1番目は時間配分を考える。
2番目は住む場所を変える。
3番目は付き合う人を変える。

この3つの要素でしか人間は変わらない。

もっとも無意味なのは
「決意を新たにする」ことだ』
(『大前研一洞察力の原点』)

 

(過去記事はこちら)

 

taka1984.hatenablog.com

 

 

この言葉は、引きこもりの僕を社会人にした。

 

そして、尊敬する上司がこの言葉を使っていた。

 

 

 

この言葉は、

何かを変えたい人や組織のあいだで、

長い間重宝されているものだ。

 

だいたいの方策は、

1番目の時間配分を変えることが目的となっている。

 

そして、

この1番目を徹底して実践することが

いかに難しいかと思い知らされた経験も世にあふれている。

 

「時間配分を変える」を徹底するために、

人は脳の仕組みを取り出して66日ルールとして勇気づけたり、

とにかくもういろんな手を尽くす。

 

それでも手を焼く「時間配分を変える」こと。

 

これが例のウイルスによって

強制的に実践された。

 

約1か月間。

 

ほとんどの人が、半ば強制的に「時間配分を変える」ことを実践した。

 

実践させられた、というのが実情かもしれない。

 

では人が変わり、世は変わるのか?

 

変わる部分もあるのだろう。

 

あるのだろうが、巻き戻しも起こる。

 

現状変化を忌み嫌う現状バイアスは、人が集まれば集まるほど発動する。

 

組織が大きくなればなるほど、現状バイアスによって通常モードに戻っていく。

 

それじゃぁ生き残れないよと、コンサル含め色んな人が賢明に懸命に言うだろう。

 

一方、個人や組織の中でフットワークの軽い者は嬉々として

時間配分を変え続けるのかもしれない。

 

結果、何かが変わるのだろう。

 

そんなことをぼんやり感じていると、

ふと思い当たったことがある。

 

毎朝感じる、自然のちいさな変化だ。

 

taka1984.hatenablog.com

 

そこで僕は転向することにした。

 

自分の何かを変えようと、この言葉に頼るのをやめにした。

 

自然が毎秒変わるように、

人も毎秒変わっている。

 

何かを変えようと躍起になるのはやめにした。

 

だって変化そのものだから。 

 

自然も人も毎秒変化していることに気づき自覚した。

 

変化そのものであることが

ストンと腹落ちしたとき、

気張って「変える」必要はないのだとふっと肩の力が抜ける。

 

あとは自ら変化そのものとして、

日々過ごせばよい。

 

日の出と日の入りの移り変わりが、変化の源泉だ。

その変化にしたがって、時間配分が変わるように出来ている。

 

 

 

あのとき、オフィスで教わった「変える」こと。

いま、自然に教わっている「変化そのものである」こと。

 

どちらも、

僕にとってかけがえのない経験をさせてもらっている。