本音で生きているか?
という問いに自信をもってYESと答えるか。
人は状況に応じて、私はこうだと思い込んでいる役割や立場に依った行動をとることが多い。
職場や家庭、状況に応じて、私はこの立場だから、というポジショントークばかりしていると、「私」を見失う。
本音の在りかがわからくなると、「私」がいない他人の人生を歩いていくことになる。
僕はどうして引きこもったのか。
その答えはときにまちまちだけど、人との交流を絶って、本音を晒さないように本音を流さないように本音を守りきろうとしたと言うとこじつけだろうか?
僕は遅い思春期を20歳前後でむかえ、もやもやしたよくわからない思いを大事に抱えて、時間を浪費したのだと思う。
良く言えば、本音を守ろうとした。
だけど、本音は抱えて守るものじゃないという考えに至った。本音を抱えることと、本音で生きることは異なる。
本音は晒すものだ。
本音を晒さず守りきろうと引きこもった僕は、心身ともに弱りきった末、幸せな生活を送りたいという本音を晒して、外に出た。
朝起きて、カーテンを開け窓を開け、大きく息を吸い込むことができるようになった。
外に出ると、重力負けしてクラクラした。
だけど、その晩ぐっすり眠ることができて、朝起きて、腹が空いて、温かいカップ麺をすすったとき、たしかな手ごたえがあった。
数日、数週間、数ヶ月経ち、手ごたえは確信に変わった。
復活できるぞ。
相変わらず人とうまく話すことはできなかったが、なるべく本音で話すことを心がけた。
本音を晒し続けた結果、仕事がみつかり友人ができ家族ができた。
好きなことが見つかった。
山を走ること。
目標が見つかった。
100マイルで日本一になること。
人生をかけてやりたいことが見つかった。
100マイルで世界一を目指すひとを支援すること。
本音で生きることは、とても楽しい。