僕らの情熱

ワクワクする人生を。

終戦の日、子との登山。

終戦の日に何を思うか?

 

僕の場合、それは「撤退」の意思決定についてです。

僕の参考図書であり、バイブルともいえるものが、この2冊。

(バイブルが2冊あって良いのか?w)

 

 

撤退戦の研究 (青春新書インテリジェンス)

撤退戦の研究 (青春新書インテリジェンス)

 

 

 

 

いかに撤退が難しいか、よくわかります。

撤退が苦手な人がいかに多いか、ということでもあります。

 

僕も苦手です。ですが得意な人も知っています。

一時期、M&A仲介をしていたこともあり、「会社の譲渡」というある種の撤退要素がある意思決定を速やかに行う方と、そうでない方とをたくさん見ました。

どちらが良いかというと、僕は前者だと信じていますし、いちサラリーマンであり父親でありトレイルランナーでありSKIMOで世界一になるという息子ARATAのサポーターに過ぎない僕自身も、そうなろうとしています。

 

撤退は、自己否定につながりかねない要素があることから、苦手な方や難しいケースが多いです。

 

何も戦争や商売に限ったことではないです。

 

日常のあらゆる場面で「やるかやらないか」

この意思決定を迫られていると感じます。

 

継続を美徳とする例が多い中、

「やらない」と決めたことは?

 

継続してきたこと、

継続しかけていることを

真昼の覚めた頭で、はっきりと「やめた」「やらない」と決めたことは?

 

「やらない」と自分に宣言し

何かを撤退つまり捨てなければ、

新たなことやより重要なことに時間や労力やお金を賭けることはできません。

 

そんなこたーわかってるよ、と思います。

 

それでも、撤退はなるべくしたくないというのが本音です。

 

ですが親としては、子に何としても身に付けてもらいたい感性です。

 

あ、ちがうかも。

 

やべ、状況変わった。

こっちだったかも。

 

あれ?もうやめとくか。

 

撤退とマインドの切り替えは、

人生を豊かにするために必要なことのひとつだと思っています。

 

それが、登山でプチ体験できます。

 

僕は子ふたり(ENA8歳、ARATA6歳)とよく山に入ります。散策もありますがルートを定めて登ることが多いです。

 

楽しむことを第一に僕らはやっていますが、山登りとなるとアクシデントはつきものです。

 

転んだ。

 

思っていたよりテクニカルだ。

 

思っていたより鎖場が続くな。

 

突然天気が崩れきたぞ。

 

いくらでもありますよね。

 

そういうとき、大原則として、

進むか引き返すか子に委ねています。

 

すると子ふたりそれぞれ、そのときの資質のようなものが垣間見えるんです。

 

ARATAは、

とにかく意思決定が早い。そして引きずらない。

 

例えば。

八ヶ岳のひとつ、権現岳のピークを目指していたときのこと。本人が思っていた以上にテクニカルな鎖場に苦戦。

彼は、さっぱりと「とーちゃん、もうやめとく」と決めます。

またある日は、裏山の登山口につき、車から降り、足をついた瞬間。

 

「なんか足がへん」

 

数歩して。

 

「今日はやめとく」

 

撤退を決め、くるりと向きを変えると、決して引きずらず、ニコニコしながら帰ります。

 

それほどゴールに執着しておらず、今を楽しむことを重視しているのでしょうか。

もしくは、単に変わった状況に合わせて、考えて決めて、動いているだけかもしれません。 

 

僕が「撤退」について身構えているだけで、

彼にとってはとてもシンプルなことなのかも。 

 

どちらにしても、僕には出来ることではなく、勉強させてもらってばかりです。

 

一方のENAは。

 

序盤に滑ってスネを丸太にぶつけた。

歩けるかどうかすぐにはわからない。

 

そんなとき彼女は迷います。

 

自分の体について迷っているというよりは、

同行者である僕とARATAがどう思うだろうか?ということを感じ取ろうとしているかのような迷いです。

 

僕は決して彼女の迷いが悪いと思いません。

 

自分よりも周囲との和を気にする資質があるのでしょうか。

 

迷えば迷うほど、どうしていいかわからないときほど、

僕ははっきりと彼女に言います。

 

「とーちゃんとARATAはどっちでもいいよ。

決めるのはENAだよ」

 

いつも決めるのは独りです。

 

独りで決める経験が大切です。

 

こう見えて、彼女は独りで決められます。

 

よくわからなコロナがいよいよ流行り始めた4月。

彼女は転校生としてその日始業式に出るはずでした。

 

最終的に彼女は独りで決めたのです。

 

ちょっと様子見る、と。

とりあえず学校に行くのを見送りました。

転校生として一日も学校に行っていない状況で、

勇気のいることだったと思います。

 

それから数日後、市内の小学校は一斉に休学を決めました。

 

だいぶ時間が経って、

足並みをそろえるように小学校が再開され、

今ではENAも楽しそうに通っています。

 

「あのとき、よく決めたよなぁ。

よく行かないって決めて、行かなかったなぁ」

と僕がENAに言うと、

彼女は漫画を読みながらこちらを見ずに返事をしたものです。

「そうかなー?」

僕にはどこか嬉しそうに、たくましく見えました。

 

そのとき学校に行かないと決めたことが

正解かどうかはよくわかりませんし、

とても小さなことです。

 

「やらない」という撤退の判断が

正解かどうかはすぐにはわからないことが多いです。

そして、正解かどうかわかるころには、

その判断自体が持つ意味は薄れていて、

そのときにもっと重要なことに直面していることが多く、

正解かどうかなんてやはり小さなことになっています。

 

何より大切なことは、

今、独りで、なるべく速やかに決めたということです。

 

そのことを、子が僕に教えてくれます。