僕らの情熱

ワクワクする人生を。

レースから山遊びへ

コロナで様々なレースが中止となる中、

滝川さん率いるOSJがKOUMIの今秋開催を発表した。

 

発表を見たとき、

僕は出走するかどうか迷った。

KOUMIは5年連続エントリーし、

昨年の中止を除くと

4度走った超がつくほどお気に入りのレースで、

2018年には4位入賞することもでき、

次は優勝だと決めていたレースだ。

taka1984.hatenablog.com

 

 

だけど僕は出走しないことにした。

 

昨年までと比べて

僕が一番たいせつにしている「ワクワク」が少なくなったと感じたからだ。

 

それは、コロナが理由ではない。

 

「ワクワク」が少なくなった理由を探ると、

僕にとってレースは必要ないということがわかった。

(前言撤回した暁には、変化した自分を笑って振り返るw)

 

僕にとってトレランレース、

特に大好きな100マイルレースは2つの要素があった。

 

1.冒険・挑戦

24時間を超えて、山を走る。

これは冒険であり挑戦だ。

そんな冒険・挑戦をレース主催者のお膳立てを得て、年に数回楽しむ。

非日常な体験。

 

これが移住によって変化した。

5分で富士山のトレイルにアプローチできるようになり

富士山以外にも町のトレイルが無数にある。

山が身近になったことで、

レースでなくても時間を確保し計画すれば

冒険的で挑戦的な走りは可能になった。

 

それと。

冒険に対する考え方が変わった。

 

僕には非日常な冒険は必要ない。

 

 

冒険や挑戦は日常的であるべきだ。

それは山遊びに限らない。

 

 

何だかそんな考えに至った。

 

そして、レースを排除した山遊びは、

無目的だ。

 

無目的な山遊びこそ、僕が今もっともワクワクすることで、

そういう遊びに時間を多く割きたい。

 

2. お祭り

レースにはお祭り的要素がある。

これもある程度理解はできるのだが、大規模なレースに参加したときに

規模を理由としたお祭り感を前にして妙に覚めている自分を発見した。

天邪鬼な性格もあるだろう。

加えて、いくつかのレースに参加したとき、トレイルが大きなダメージを受けるのを目の当たりにした。

ずっと引っかかっていた。

大規模レースになればなるほどダメージは避けられない。

海外の一部レースは、ダメージを受けることがないほどに屈強なトレイルが舞台になっていることはあるので、そうしたトレイルのレースならば今後対象とするかもしれないけれど。

僕は、この引っかかりを無視してお祭りを楽しむことはできない。

 

 

 

こんな風にして、コロナが理由ではないが、コロナは気づきのきっかけになったかもしれない。

 

今、僕にレースは要らない。

(友人や息子や娘など、レースを目指すひとはこれからも全力で応援する)

 

鍛えることはやめない。

むしろ今までより激しく挑戦的に行う。

 

ただ、レースは目的とはならず

ワクワクする無目的な山遊びのためだ。

 

ルートを自由に設計し、ワクワクする山遊びを。

それは、家族や友人や独りで行う。

 

そんな無目的な山遊びに没頭する。

 

これが、僕の情熱だ。